現代の名工

現代の名工

古より京の都には多くの「匠の技」が伝わって来ましたが、
現在ではコスト面の問題や機械化が進み京の伝統の技が失われつつ有ります。

各分野においても「この人だけ」とか「この店だけ」と言う様に希少になっています。

手作り飴の技術と聞くと、縁日などでよく見られるキャラクター物の飴細工や金太郎飴などが想像出来ます。何れも素晴らしい技ですが、ここで紹介する技は昔ながらの手づくり京飴に拘り澤原勇雄自身が編出した究極の技です。当店の創設者(現会長)澤原勇雄は平成11年1月27日に京都府より「優秀技能者」として表彰を受けました。この技は永年培われた飴職人の拘りから産まれ、他に類を見ない鮮やかな技術です。

名工の技

当店の「匠の技」は専用のハサミと球断機(飴を切る道具・写真下段中央・右)だけで造ります。後は手の感覚が全てです。その魅力は細工飴などの実演ではけっして見られない鮮やかな手さばきやスピードそして出来あがった飴の艶に有ります。「美味しくない飴は造らない」と言う言葉どうり、何処までも味に拘った「京都の名工」の技です。 現在では当店会長から店主の私(まだまだ及びませんが)に伝承されていますのでこれからもこの「匠の技」を大切にしていきたいと思います。(写真でしか御見せ出来ないのが残念です。)

飴の歴史

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香りも貴い橘を積んだお舟が今帰る・・・・

と詩に歌われたように、京に飴菓子が生まれたのも此の詩が原点でその後京飴は長い歴史と文化の町に根を下し、職人の手から手へ伝わり近年は豊富な材料をもとに技術の向上と工夫を重ね磨かれて参りました。

日本における「飴」の歴史は、古代まで遡ると云われ、当初は甘味料として使用されていました。 「飴」または「糖」と書いて「あめ」と読み、砂糖や蜂蜜よりも歴史は古く「日本書記」にも飴に関する記述があるようです。

平安時代の文献にも「飴」の記録が残っており、既に京の都では「飴」を売っているお店もあったようですが、この頃もまだ甘味料としての「水飴」でした。室町時代には砂糖が輸入されるようになりましたが、一般庶民には手の届かない高級品でした。金平糖など砂糖菓子もこの頃から輸入され御存知戦国時代のスーパースター織田信長は戦場でエネルギー補給の為に食べていたそうです。

江戸時代に入り、砂糖も高級品ながら一般社会とは無縁でなくなり、水飴にこれらを加えた加工飴が登場します。求肥飴・翁飴・有平糖などが有名でまた黒砂糖を加えたものや、気泡を入れて引っ張った「引き飴」なども造られるようになり現在に至っています。

水飴・・・・麦芽に含まれるアミラーゼと言う酵素が、炭水化物に作用すると麦芽糖になります。澱粉で糊を作り麦芽を加えると糖の溶液が出来、これを煮詰めたのが水飴です。「菓子」の言葉の由来・・・・「菓」は果物を表し「子」はその実や種を表します。 即ち、橘(蜜柑)のことです。

以上、まだまだ「飴の歴史」については語り尽せませんが、長い文章は疲れますので、私なりに解り易くまとめてみました 。

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